私たちのデニス⑴
テンくんの葬儀後まもなく、カザフスタンのアスタナで『Наш Денис(私たちのデニス)』という追悼本が配布されたようです。その電子版は↓こちらのツイートのリンクにアクセスすることで見ることができます。
(l.esprit.mao.asadaさんのツイートより)
デニス・テン選手「我らのデニス」全118pがダウンロードできるそうです!
— l.esprit.mao.asada (@lesprit_mao_26) 2018年7月27日
ありがとう!🇰🇿デニス・テン選手
カザフの文化スポーツ省公式からhttps://t.co/f1EgR5q8Us …
>アスタナの各図書館で、デニス・テン選手の生い立ちやレア写真も掲載された追悼本「我らのデニス」が5000冊無料で配布された。
かなり重たくてスマホだとなかなか表示されません…しかも当然ながらロシア語…
うーむ、としばしにらめっこしたり、ちょっぴり翻訳したりしたものの、固まる脳内…
誰か翻訳してくれる方おられんかなーと思っていたら、ありがたいことにいらっしゃいました!
わさびさんという方が、Tumblrに載せてくれています。ボリュームたっぷりの追悼本からインタビューの部分を①〜③に分けて掲載してます。
«Наш Денис»に載っていたデニスのインタヴュー、その内の一つを訳しました。自動翻訳で露→英にしてからの翻訳です。機械翻訳を2種類使い、ロシア語辞書も使用する等最善は尽くしましたが、間違いも多々あると思います。趣味で翻訳しただけなので、ご容赦下さい。https://t.co/zdV8Z2RHXp
— わさび (@washabin2) 2018年7月26日
読み応えは十分。わさびさんの渾身の翻訳に感動すら覚えました。
Tumblrにあげられたインタビューは、①2016年②2009年③今年2018年の順でした。まずは②2009年のインタビューから特に印象的だった部分をご紹介。
〈All sportによる、2009年アメリカ・ロスアンジェルスの世界選手権後のインタビュー。SP17位 FS6位 総合8位。FSでは渾身の演技にガッツポーズ。テンくん15歳〉
ーデニス、世界選手権以降、ジャーナリスト達が解放してくれないのでは?
ええ、してくれません(微笑)。僕についての記事を幾つか読みましたけど、個人的に話をしていない人(訳注:記者の事か)は殆どいないですね。それにロスアンジェルスの世界選手権では、フリープログラムの後、ミックスゾーンでも長い事解放してもらえなくて。僕、もう脚の感覚がなかったのに(笑)。
……現地で、定員が17人に減らされている事がわかったんです。ですから、丁度17位になったショートプログラムの後に考えたのは、どうやってこの位置をキープするかという事だけでした。コーチ達はスコアの低さに不満を言っていましたが、僕はそれについてはあまり考えず、瞬時に次の日に向かって切り替えました――フリープログラムに。僕はそれを生涯忘れないでしょう。あんな風に滑れた事、今までないんですから!
←嬉しさが伝わってきますね!テンくんっぽい茶目っ気のある受け答えも。それでも15歳(インタビューのときは16歳になってたかもですが)とは思えない饒舌さに改めてびっくり。
ー大勢のロシアのファンが、世界選手権の放送を見ながら、悔しがってこう思ったと思います、"ああ、何故彼はロシア人じゃないの!? “。スポーツでの市民権を変えようと思った事はないのですか?
具体的な提案がなかったので、それについては考えた事がないです。小さかった頃は、気に留めた事すらありませんでした、どの国旗のもとで滑るかなんて。成績の事も、メダルの事も、競争する事も考えませんでした――ただただ楽しんでいたので。
ーでは、依然、成績について考える事はなく、今もご自分のために滑っているのですか?
違う気がします。10歳か11歳の時、全てが変わりました。それ以降、僕は自分自身のために決断して来ました。一度この稼業を始めたら、真剣に対処しなければならないから。精神的に言っても、スポーツに対する姿勢が違うレベルへと移行しました。僕はトレーニングが大好きだし、試合も大好きだし、年上の経験豊富なスケーター達と話すのも大好きです。ロスアンジェルスの世界選手権には早く到着したので、あるウォーミングアップのグループで滑ったんです、エヴァン・ライサチェクや、ケヴィン・ヴァン・デル・ペレン、トマシュ・ヴェルネルと一緒に。驚異的な体験でした――あんな名人達の近くに行けるなんて! 内心では、どうにかして早く肩を並べたい、このレベルに行きたいと思っていました。そういう時に、自分が何のために滑るのか、わかるんです。
←自分はただスケートを楽しんで滑っていただけだったけれど、一流のスケーターと一緒に滑った経験から自分も彼らのようになりたいと思い始めたんですね。「何のために滑るのか」については、この後のインタビューで明らかに。
ー専門家達は、満場一致で、あなたに偉大な未来が待っていると予見しています。
勿論、僕は自国やコーチたちのために、大いなる期待を抱いています。僕のフリープログラムの録画をYouTubeで見ましたが、人々がコメントを付けてくれていて、"彼は未来のオリンピックチャンピオンだ"って書いてありました。それを読んだ時は笑っちゃって、冗談、冗談、って……。いつもなら、シーズンの終わりはリラックスして、休息を取るんですけど、でも今回は、僕の内なる全てが沸騰しています。緊張が解けず――寧ろ、早く来シーズンの準備を始めて、新しいエレメンツを習いたい、上達して前進するために。やる事が沢山あって、時間に追われています! 僕は目標を下げたくはありません。自国と自分の家族を尊厳を持って代表するには、それが大事です。僕の高祖父――ミン・グンホは、大韓帝国の有名な将軍でした。祖母が教えてくれました、韓国では、彼の伝記を一年生で習うんだって。僕は、偉大な祖先に相応しい人間になりたいです。
ーあなたの、成功の秘訣は何でしょう?
自分の生業のファンであること――それが秘訣の全てです。トレーニングが大好きなんですよ、150%のベストを尽くす事が。
←周囲の高評価だったり未来のオリンピックチャンピオンと言われたりと、まさかと思いつつもきっとこの頃から真剣にスケートに向き合い始めたのかなと思いました。楽しむだけのものではなく。祖国からの支援もあって、また様々な歴史もあっての国と偉大なる祖先を背負っているという意識が増したような発言。
成功の秘訣として答えていた「自分の生業のファンであること」は、「何のために滑るのか」にも通じているのかなと思いました。テンくんはほかの誰よりも自分自身に期待し、そして誰よりも自分自身を応援していた。デニス・テンという人間を俯瞰して捉えていた証のような。当時からそんな視点を持っていたんですね。
2009年ワールドFSの演技
⑵、⑶へと続きます。
#自分という人間の生業のファンは自分である
D10/WORLD展覧会
りさんこさんのツイより。
いつも確かな情報をありがとうございます。(テンくん関係Instagramをフォローしててもロシア語の壁がね?翻訳は日本人でもわからん日本語になりますし汗)
https://t.co/lnV7U8h5as
— りさんこ🍎🇰🇿 (@ReeChaiii) 2018年8月23日
8月26日から9月2日までアルマティのEsentai Galleryにてd10 worldの写真展が開催。デニステンの思い出に捧げられるこの展示会はデニスの親戚や友人たちにより開催されています。彼自身の作品、スポーツイベントの写真、友人たちのビデオプロシェクトも。 pic.twitter.com/ciKghe0p1g
記事を書こうと思っていたら、あっという間に展覧会は今日で終了のようですね、汗。記録としてまとめておきます。
画像は良くありませんが、オープン初日のライブ配信の様子はこんな感じでした。
テレビ局のカメラマンのような方がチラホラ。現地のニュースなどで放送されていたのでしょうか。さすがすごい賑わいです。
その後も毎日のように現地の様子を動画や画像であげてくれていました。主にofficialさんやdenistenfoundationさんのInstagramより。
このmini denisTシャツは、デニス基金に寄付した方がもらえるとのことでしたが、期間の途中でサイズ、残りとも品薄になってました…残念!現地に行けるわけではなかったけれど、日本からの寄付でもらえるなら嬉しいなぁと思ってたので。
mini denisはイラストレーターDinaraさんの作品。
(mini.denis Instagramより)
展覧会のボード裏にイラストを描いてらっしゃいました(Dinaraさんのツイートより)。
白いボードがたくさんのファンによって青く埋まっていく…何て書いてあるのかはわからないけれど、テンくんへの愛溢れるメッセージだというのは伝わってきて幸せな気持ちになりました。
それと、同じような悲しみを抱えている人が集まる場があること。たとえ言葉は交わさずともピアカウンセリングのような効果があるのかもしれないなって。そんな癒しの空間なんだろうな。
また会場ではテンくんの映像も流れていて、おそらくデニスフレンズショーのときのSOS、ソチのときのカザフの戦士などのプログラムや、バックヤード的なものがちらっと見えました。
あとは、D10WORLDということもあって、テンくん撮影の写真も展示。
( denistenfoundation Instagramストーリーより)
アルマティ以外でも開催してほしいという要望があるようです。会場代や運営費など諸々の案件がクリアできれば、日本でも開催は可能なのかな…?
いつか叶うといいな。
FSTV8/25とPIW2013名古屋
8月25日放送のフィギュアスケートTV。
冒頭には、番宣になかった2013ワールドFSのときの演技が放送されました。
2013 Word FS Denis Ten - YouTube
19〜21歳頃のテンくんの演技では、とてつもなく安定している体幹だとか、弾けんばかりの若さ、エネルギッシュさなんかに注目して観てしまいます。
会心の演技後にそっとリンクにキスをしたテンくん。
この素晴らしい演技を観た後の八木沼さんは、こうコメントしていました。
「今でもあの演技は覚えてますし、やっぱり改めて観るとうぅっと思ってしまうんですけども(涙ぐむ)ちょうどこの世界選手権が終わった後に、それが2013年の確か、ちょっと月日は失念してしまったんですが、5月か6月にPIWというアイスショー、団体がありまして、私もそこに在団していたんですけども、所属していたんですが、その名古屋公演に初めて、あの、彼が来てくれたんですね。本当にスケーターとしても素晴らしいテクニックもそうですし、スケーティングもそうだし、フィギュアスケーターとしての素晴らしい教本のような、テクニックも素晴らしいものを持っているスケーターではあるんですけども、本当にこう、人間としてもチャーミングで、でも紳士でもあり、あの、本当にいろんな人と分け隔てなく話してくれて、こうやって関わった人たちがみんなファンになっていくっていう、本当に素晴らしい人物だったなぁっていう風に思いますね。本当に残念でなりません。」
親交のあった方から聞くテンくんの人となり。嬉しいです。八木沼さん、ありがとうございます。
さて、ここで出てきたPIW2013名古屋公演の話題が気になったので調べてみました。
残念ながら演技の動画は見つからず。少しだけ関連の投稿を見つけました(ブログ主の検索スキルの限界…汗)。
(ショコラ雪月花さんのツイートより)
初めて行ったアイスショーはPIW2013名古屋公演
— ショコラ 雪月花 (@syokoramasao) 2018年7月24日
プレゼントと手紙を渡したスケーターは後にも先にもこの時のテン君だけ
日本を好きになってほしいな、と京都のお土産を持って行った
ほぼ無言で手渡すわたしに少し戸惑いながら受けとってくれた
たくさんの「デニー」の掛け声、気品ある振舞いを思い出す pic.twitter.com/lbYDsoNb0h
(虹色の空さんのインスタより。他にもお写真あり)
10代最後、テンくんのなんて可愛いこと!
この髪型好きだなぁ。
あと、楽日夜の部について、こちらはレポと写真を何枚か載せている方がいました。
プログラムがなんだったのかまでは書いてなかったのですが、「ジャズっぽい大人っぽいプロ」というヒントと、2013-14シーズンのEXだったろうと想像すると、おそらく『Complicated』+『Everything I Can't Have』なのかなと。衣装は写真からWTT2013『雨に唄えば』のものだったようですが。
(参考に2013中国杯 EXのもの)
また、このブログ記事には「カザフEX」という表現のレポがあったと書いてあるので、日程によっては『Warriors of Kazakhstan』や、もしかしたら『Mi Mancherai』も?滑っていたかもしれませんね(さすがに3つはないか、汗)。
こちらはデニスフレンズショーでの『Warriors of Kazakhstan』
2014スケアメ EX。持ち越しした『Mi Mancherai』
2013年当時はテンくんをよく知らなかった。
できることなら過去に戻ってしっかり応援し直したいな…
#チャーミングで紳士的
#分け隔てなく接することができる
#スケーターとしてだけでなくその人間性で周りの人をファンにしてしまう
#(完璧すぎるぞ?w)
妄想のテンくん
テンくんが逝去して1ヶ月が経ちました。毎日毎日テンくんのことを考えてはいるけれど月命日はまた違うものがありました。
自分自身少しずつ落ち着いてきたかな、と寂しく思うときもあったのにやはり号泣。
テンくんの、何か他に言いたそうなのに、肝心なことは言わずユーモラスな発言で場を和ませているような、そんな場面を想像していました。
思うところは果てしなく、思慮深い人で、求められればクールに応えるけれども、自分から多くを発しないといった、らしさ。
私にはずっと思うことがありました。
テンくんが被害に遭った瞬間から今日までのこと。
スケーターの大事な脚を刺されてどんな思いだったのだろうか、才能に溢れた彼の未来が奪われたのはさぞ無念だったろうに、という意見を目にしました。けれど、テンくんの性格を想像すると、私にはそうなふうに思っているとは思えなくて。
ここからは自分勝手な妄想、夢物語、ファンタジーです。気分を害されることがあるかもしれません。心配な方はやめておいてくださいね。
《ブログ主の妄想劇場》
ミラーの被害に気づいたとき、正義感の強い彼は明らかな犯行に立ち向かった。もし相手が一人なら取り押さえることができたかもしれないけれど、二人だったことで劣勢になってしまった。けれども、テンくんの行動から状況的に追い込まれた犯人は、ただ逃げるということではなくとっさの犯行に及んだ。それが運悪く致命的なところに命中。テンくんは刺された瞬間、凶器が使われたことに驚き、痛みを感じたけれども、おそらく出血性のショックですぐに意識を失った。もしかしたら、遠のく意識の中で「しまった…」と思いながら、ここまで深追いしたことを後悔したかもしれない。病院へ搬送されたが、医師たちの懸命の治療虚しくこの世を去ることになる。
そして、ここからは魂の話になります。テンくんの魂はしばらく混乱していた。あれで自分は死んでしまったのかと。家族や親しい友人たち、世界中の人々の悲しむ姿を見ては申し訳ない気持ちになっていた。まさか自分でもこんなことになるとは思ってなかったから。気遣いしいのテンくんは悲しんでいる身内や友人知人、ファンのところへ出向いて「死んでしまってごめんね。そんなつもりじゃなかったんだ。みんなを悲しませるつもりじゃなかった。」ってお詫びをしてまわった。数日が過ぎる頃、賢い彼は己の宿命(寿命)を悟る。この世でやりたいことはまだまだたくさんあったけれども、自分の生き様に一つの後悔もなかった。寝る間を惜しむように没頭してきたこと全て。もしかしたら寿命をどこかで感じていたから、寝ている場合じゃないって行動していたのかもしれない。今はまだ霊界(天国)には辿り着いていなくて、仏教ではないけれど、この世とあの世の境目あたりをまだウロウロしている。もう少ししたら神の導きで霊界に昇っていく。もちろんテンくんの魂のレベル(霊格)は非常に高いので、あの世のふるさとでも労いでもって大歓迎されるだろう。
この世に生まれるとき、その魂は青写真を描いて降り立つ。青い部分は宿命。色付けは運命。寿命も宿命だけど、この世に心残りを感じると延長してもらえることがあるんだそう。テンくんは…やるだけやったと思えたのかな。
輪廻。この世の修行が長くなると魂が疲弊してしまうので、生まれ変わってまた活躍してほしい魂は早く呼び戻されるらしい。ということは、テンくんはまた生まれ変わってこの世に来てくれるはず。ただ私の寿命のが先に来てしまいそうだけども…(;_;)
魂は光のような、瞬間移動が可能なものだし、思いを残したまま別なところへいくつも移動することができるから。周りを気遣うテンくんはきっと、テンくんを想うすべての人のところに顔を出してくれる。そう、この記事を書いている私の傍にも寄り添ってくれているかもしれない。夢物語かもしれないけれど、そう思うことでテンくんの魂も救われるような気がしている。
それと霊格について。あの世でテンくんの魂に会うためには同じように霊格を高めないと難しいらしい。霊界はヒエラルキーの世界なので、上から下の階層には行けるけど、下から上には行けないもの。まぁ、アイスショーのようなことをしてくれれば観られるかもしれないかな?マイケルジャクソンや美空ひばりはリクエストが多くショーを開催しているらしいので!?
テンくんの魂と同等…どんだけ徳を積めば達せられるのかな、汗。でも絶対にまた会いたい!!!
...以上、ブログ主の妄想でした!
その昔、名前は大切な言霊であり、他人にはうかつに教えなかったという。
〈デニス・ユーリエヴィチ・テン〉
テンくんを想う大切な言霊。
どうかデニス・ユーリエヴィチ・テンの魂が安らかでありますように。日々祈っています。
WFS66号(2014年12月)
もうほとんどの方はご存知だと思いますが、自分用に残しておきます。
World Figure Skatingのツイより。
WFS66号(2014年12月)に掲載したデニス・テン選手のインタビューを公開します。ソチ五輪の次のシーズン、2014年スケートアメリカでの取材で、彼の人柄、郷土愛がよくわかるインタビューです。「カザフではスケートを始めた子どもたちが大勢います。ぼくは彼らの道しるべにならなくてはならない」 pic.twitter.com/TAhqt9gDib
— World Figure Skating (@WFS_JP) 2018年7月19日
インタビュー本文
印象に残ったところ
・見た目は若いけど、ぼく中身は年寄りなんです。たぶん55歳くらい(笑)(←私もずっと本当は50歳くらいなんじゃないかと思ってました。やっぱりそうだったのかw)
・ぼく、ソチでは左右違う靴を履いて演技したんですよ。
・表彰台に乗ったときも、格好つけるわけじゃなくて本当に何にも感じることができないくらいだったんです。
・ぼくは東洋のメンタリティの持ち主だから、自分の心情を誰彼なくしゃべるたちではありません。聞き手に回る方が好きだし、障害は黙って一人だけで乗り越えたい。
・もうぼくは自分のためには滑っていない。他の人々への手助けをしたいんです。
・何か理不尽なことがあれば立ち上がって戦うけど、周りに泣いている子がいるとハッとして、駆けよって慰めずにはいられない。
・スポーツには向かない性格かなぁとは思うこともあります。もっとエゴイスティックじゃないと勝てないですよね。
・重荷を背負いすぎだと言われることもあるけど、これがぼくの生き方です。そうすることでより良い人間になることを助けてもらっていると思います。
弱冠21歳で、すでに競技を含めた人生の指針とかこの世で生きる意味を熟知していたんですね。21歳のテンくんにも教わることばかりです。
#テンくんは名探偵コナン⁉︎
#スケートのモチベーションは後進の啓発
#正義感の強さ
#altruistic(利他的な)←→egoistic
#願わくば我に七難八苦を与えたまえ〈戦国武将山中鹿介〉
日光霧降アイスアリーナとPIW
どうやら私の頭の中では、8月+日光=デニス・テンという方程式が成立してしまっているようで、この8月は地元にもかかわらず「日光」というワードに涙ぐむというありさまです。
りさんこさんのツイで教えてもらいました。
テンくんがtemoki_san という方と日光について語り合ったことがあり、テンくんは彼に日光訪問を勧めたのだとか。
コメント翻訳(アプリ+少し意訳)
私は日本についてどのように話したか覚えています。私たちが冒険について快活にチャットしたことを覚えています。デニスは私に日本の都市、日光を訪問するよう勧めました。来年、私は日本に飛ぶ予定で、あなたのために日光市に行くことを約束します。私はあなたをよく知りたい、友人になる、私がどのようにインスピレーションを受けて誇りを持っているかを伝えたいと思っていました。最後に言いたいのは沈黙しないことです。今その男に言うべきことを言ってください。そうでなくては遅すぎてしまう。黙ってはいけません。
テンくんお勧めの日光を訪れ、テンくんにとっての冒険だった(?)旅をしようとしているみたいです。
そんな彼に私も刺激を受け、沈黙せず(?)テンくんの冒険に触れる旅へ。車で片道1時間の日光霧降アイスアリーナへ1年ぶりに行ってきました。
日光東照宮側からの霧降大橋。この橋を左方面に登って行くと霧降アイスアリーナがあります。
苔むした壁面と木々に囲まれた道中。
会場。一般の利用者が滑っていました。
昨年の日光公演の際、もしかしたら選手の方が出入りしていたかもなぁと想像する裏口と西口。
大谷川から見た、雲がかった日光連山。
日光公演のとき、テンくんもこんな景色を見ていたのかなと思いながら。日光東照宮や華厳の滝なども観光したのかな。いったいどんな感想を持ったのでしょうか。聞いてみたかったです。
日光公演のときの私はというと、初めてのPIWに初めてのエキサイティングシート、もちろん初めての触れ合いということで一人ドキドキしていました。
周りは地元の方々ばかりで触れ合いシステムをわかっていなかったようで、誰も声をかけることなく初めにやって来たのがテンくんという。わー通り過ぎちゃうよー、てな感じで慌てて呼び止めて。しかも「テンくん」ってww
英会話とは言いがたい会話を少しと、手紙とプレゼントを渡すので精一杯でした。
それでも、テンくんのキョトンとした顔が可愛かったな、久しぶりのテンくんの演技はやっぱり良かったなと大満足だったのだけれど。
現地観覧歴、日の浅い私がテンくんを目の前で観たのはまだ2回で、まさかこの日光公演が自分の人生においてこんなにも大きなものになるとは思いもよらずに。後悔ももちろんあるけれど、それ以上にテンくんが残してくれたものを共有できる幸せに感謝しなければ、とあらためて思わされた日光でした。
会見のニュースより。右から2番目がテンくんかな。
ピントは真凛ちゃんだけどテンくんいた!https://sports.yahoo.co.jp/figureskate/photo/detail?g=2244&p=28
ファンの方からのお花。カザフ色。
町田くんからのスーパースペシャルな贈り物。観るには勇気とタオルが必要です(;_;)
#テンくん、ありがとう
癒しの歌②
【2017/4/19あたり?】
注)こちらも、テンくんのところにはもうないものです。2017/4/15付の動画と同じ日に撮ったのかも?場所や服装、髪型が同じようにお見受けしますので。
【2017/4/15】
テンくんコメント(※)昨晩書いた
【2016/12/7】
テンくんコメント(※)驚いた。その土曜日の歌がネットワークで注目を集め、報道に達した。トレーニングの間にトラックを再配置しました。ティーザーはSoundCloudで聴くことができます(プロフィールのリンク)。
【2016/6/10】
テンくんコメント(※)前のビデオに続いてて、この動画を録画した人に、「オリジナル動画」をアップロードしていない理由を聞いたのですが?ここにあります。 - ソングのアイデアを私が並べ替えるビデオ。再び、 "Brown Eyes"と一緒に全員にこれを捧げます...いいえ声(特にそれら!)
(こちらも"Brown Eyes"さん?の曲を歌ってるのかな?)
【2016/6/6】
テンくんコメント(※)私が早く寝ることができる唯一の日、何かが自然に曲を書いてデモを録音するために私を襲った。大丈夫です、選手はばかです)))
("Brown Eyes"さん?の曲を歌ってるのかな?コメントの It's ok, athletes are idiots)))の訳が納得できず、「idiots)))」でググったら「3idiots『きっとうまくいく』」というインド映画が筆頭に来ました^^;選手としてきっとうまくいくってことだったのかな?w)
(※)は翻訳アプリそのままです<(_"_)>
テンくんの作るもの。しっとりとした曲調が多いのはその本質ゆえのものなのでしょうか。ユーモラスなテンくんも心の真ん中の音色に嘘はつけないんじゃないかな。
繊細さと優しさとこだわりの芸術家肌(気に入らないと?削除してしまうとか)。
羽生くんのように熱く燃えるクレバーなアスリート魂というよりも、町田くんのような作品の完成度を追求するアーティスト魂で競技会に臨んでいたのかもしれないな、と感じました(私が知らないだけかもしれませんが)。点数や結果はついてくるものとして自分が納得できる最高のパフォーマンスができるかとうか。本番一発勝負という大舞台でそれができるかどうか。
SPでノーミスをしリンクにキスをしたあの日。
FSでは一つパンクしてしまったけど神に感謝したあの日。
FSをなんとか堪えSPと揃えられたあの日。
(テンくんInstagramより)
幾たびか神に感謝した日のテンくんがいたから、選手を続けてくれていたのかもしれません。
そんな思いにさせられたシンガーソングライターテンくんからのメッセージ。
#自己表現
#競技会で納得のいくパフォーマンスを