私たちのデニス⑴
テンくんの葬儀後まもなく、カザフスタンのアスタナで『Наш Денис(私たちのデニス)』という追悼本が配布されたようです。その電子版は↓こちらのツイートのリンクにアクセスすることで見ることができます。
(l.esprit.mao.asadaさんのツイートより)
デニス・テン選手「我らのデニス」全118pがダウンロードできるそうです!
— l.esprit.mao.asada (@lesprit_mao_26) 2018年7月27日
ありがとう!🇰🇿デニス・テン選手
カザフの文化スポーツ省公式からhttps://t.co/f1EgR5q8Us …
>アスタナの各図書館で、デニス・テン選手の生い立ちやレア写真も掲載された追悼本「我らのデニス」が5000冊無料で配布された。
かなり重たくてスマホだとなかなか表示されません…しかも当然ながらロシア語…
うーむ、としばしにらめっこしたり、ちょっぴり翻訳したりしたものの、固まる脳内…
誰か翻訳してくれる方おられんかなーと思っていたら、ありがたいことにいらっしゃいました!
わさびさんという方が、Tumblrに載せてくれています。ボリュームたっぷりの追悼本からインタビューの部分を①〜③に分けて掲載してます。
«Наш Денис»に載っていたデニスのインタヴュー、その内の一つを訳しました。自動翻訳で露→英にしてからの翻訳です。機械翻訳を2種類使い、ロシア語辞書も使用する等最善は尽くしましたが、間違いも多々あると思います。趣味で翻訳しただけなので、ご容赦下さい。https://t.co/zdV8Z2RHXp
— わさび (@washabin2) 2018年7月26日
読み応えは十分。わさびさんの渾身の翻訳に感動すら覚えました。
Tumblrにあげられたインタビューは、①2016年②2009年③今年2018年の順でした。まずは②2009年のインタビューから特に印象的だった部分をご紹介。
〈All sportによる、2009年アメリカ・ロスアンジェルスの世界選手権後のインタビュー。SP17位 FS6位 総合8位。FSでは渾身の演技にガッツポーズ。テンくん15歳〉
ーデニス、世界選手権以降、ジャーナリスト達が解放してくれないのでは?
ええ、してくれません(微笑)。僕についての記事を幾つか読みましたけど、個人的に話をしていない人(訳注:記者の事か)は殆どいないですね。それにロスアンジェルスの世界選手権では、フリープログラムの後、ミックスゾーンでも長い事解放してもらえなくて。僕、もう脚の感覚がなかったのに(笑)。
……現地で、定員が17人に減らされている事がわかったんです。ですから、丁度17位になったショートプログラムの後に考えたのは、どうやってこの位置をキープするかという事だけでした。コーチ達はスコアの低さに不満を言っていましたが、僕はそれについてはあまり考えず、瞬時に次の日に向かって切り替えました――フリープログラムに。僕はそれを生涯忘れないでしょう。あんな風に滑れた事、今までないんですから!
←嬉しさが伝わってきますね!テンくんっぽい茶目っ気のある受け答えも。それでも15歳(インタビューのときは16歳になってたかもですが)とは思えない饒舌さに改めてびっくり。
ー大勢のロシアのファンが、世界選手権の放送を見ながら、悔しがってこう思ったと思います、"ああ、何故彼はロシア人じゃないの!? “。スポーツでの市民権を変えようと思った事はないのですか?
具体的な提案がなかったので、それについては考えた事がないです。小さかった頃は、気に留めた事すらありませんでした、どの国旗のもとで滑るかなんて。成績の事も、メダルの事も、競争する事も考えませんでした――ただただ楽しんでいたので。
ーでは、依然、成績について考える事はなく、今もご自分のために滑っているのですか?
違う気がします。10歳か11歳の時、全てが変わりました。それ以降、僕は自分自身のために決断して来ました。一度この稼業を始めたら、真剣に対処しなければならないから。精神的に言っても、スポーツに対する姿勢が違うレベルへと移行しました。僕はトレーニングが大好きだし、試合も大好きだし、年上の経験豊富なスケーター達と話すのも大好きです。ロスアンジェルスの世界選手権には早く到着したので、あるウォーミングアップのグループで滑ったんです、エヴァン・ライサチェクや、ケヴィン・ヴァン・デル・ペレン、トマシュ・ヴェルネルと一緒に。驚異的な体験でした――あんな名人達の近くに行けるなんて! 内心では、どうにかして早く肩を並べたい、このレベルに行きたいと思っていました。そういう時に、自分が何のために滑るのか、わかるんです。
←自分はただスケートを楽しんで滑っていただけだったけれど、一流のスケーターと一緒に滑った経験から自分も彼らのようになりたいと思い始めたんですね。「何のために滑るのか」については、この後のインタビューで明らかに。
ー専門家達は、満場一致で、あなたに偉大な未来が待っていると予見しています。
勿論、僕は自国やコーチたちのために、大いなる期待を抱いています。僕のフリープログラムの録画をYouTubeで見ましたが、人々がコメントを付けてくれていて、"彼は未来のオリンピックチャンピオンだ"って書いてありました。それを読んだ時は笑っちゃって、冗談、冗談、って……。いつもなら、シーズンの終わりはリラックスして、休息を取るんですけど、でも今回は、僕の内なる全てが沸騰しています。緊張が解けず――寧ろ、早く来シーズンの準備を始めて、新しいエレメンツを習いたい、上達して前進するために。やる事が沢山あって、時間に追われています! 僕は目標を下げたくはありません。自国と自分の家族を尊厳を持って代表するには、それが大事です。僕の高祖父――ミン・グンホは、大韓帝国の有名な将軍でした。祖母が教えてくれました、韓国では、彼の伝記を一年生で習うんだって。僕は、偉大な祖先に相応しい人間になりたいです。
ーあなたの、成功の秘訣は何でしょう?
自分の生業のファンであること――それが秘訣の全てです。トレーニングが大好きなんですよ、150%のベストを尽くす事が。
←周囲の高評価だったり未来のオリンピックチャンピオンと言われたりと、まさかと思いつつもきっとこの頃から真剣にスケートに向き合い始めたのかなと思いました。楽しむだけのものではなく。祖国からの支援もあって、また様々な歴史もあっての国と偉大なる祖先を背負っているという意識が増したような発言。
成功の秘訣として答えていた「自分の生業のファンであること」は、「何のために滑るのか」にも通じているのかなと思いました。テンくんはほかの誰よりも自分自身に期待し、そして誰よりも自分自身を応援していた。デニス・テンという人間を俯瞰して捉えていた証のような。当時からそんな視点を持っていたんですね。
2009年ワールドFSの演技
⑵、⑶へと続きます。
#自分という人間の生業のファンは自分である