癒しの歌①
テンくんのInstagram。
ときおり自作曲をお披露目していました。
その歌声は、天使のささやきのように甘く、切なく耳に響き、心に染み入ってくる癒しの音色。(テンくんは本当の天使だったから神様に早く戻っておいでって連れ戻されちゃったのかな(;_;))
musicだけを集めました。
[日付が新しいものから順]
【2018/6/20】
テンくんコメントShe Won’t Be Mine.創造の物語。近日公開予定。
(その全貌がデニスショーでした)
【2018/6/18】
テンくんコメント新しい曲です。まだ完成してません。
【2017/12/29あたり】
注)こちらはテンくんのところにはもうないものです。過去には動画を上げてすぐ削除されることがあったらしく、おそらくそれかな、と。テンくんにとっては不本意かも?ですが、こうして残されていたことはただありがたいばかりです。
【2017/5/30】
テンくんコメント(※)ディナールと私は1年間の小さなプロジェクトに取り組んでいます。それは部分的にしか放出されなかった。次回は教えてあげるよ。彼女の手(文字通りの意味で)私の曲の1つは動きとビジュアルプロット。これは彼女の才能のほんの一部です。あなたの個人プロフィール@dinara_butashevaで他のアーティストの作品を評価してください。小さなポートフォリオ[作品集]はここにあります:@ dnr.art
(どこかで完成していたのかな?)
【2017/5/4】
テンくんコメント(※)ストーリーからの要求に応じて。 «空の雲»
(※)は翻訳アプリそのままです<(_"_)>
続きます。。
ヤグディンナビゲーター追悼番組
日本時間の8月8日23時55分から、ロシアで放送されたテンくんの追悼番組。
そのニュース記事を産経新聞の元モスクワ支局長だったMasaaki Sasakiさんという方がご紹介してくれています。
ロシアで亡くなったデニス・テンさんの追悼番組が放送されました。ナビゲーターを務めた金メダリストアレクセイ・ヤグディンは「彼から前日に連絡をもらって、モスクワ時間の昼に彼にSMSを打ったんだ。その時、もう彼は生死の淵をさまよっていた…」 https://t.co/TqNwFBdEik #тен #денис
— Masaaki Sasaki (@izasasakima) 2018年8月9日
↓こちらがニュース記事
『オリンピックチャンピオンは、カザフスタンの悲劇的なフィギュアスケーターの記憶のための特別なテレビ番組を制作した』(8月8日付)
年齢の違いにもかかわらず、デニスとアレクセイは親しい友人でした。写真:instagram.com
【記事の翻訳】
ヤグディン:デニスは育ちの良い人間だった。僕たちは友人だったにも関わらず、彼は僕のことをいつも「父さん」とか「ハンサム」と呼んでいた。「アレクセイ父さん、あなたに質問がある!」なんていう風に言ってくることもあった。デニスは思いやりがあって、親切だった。僕が彼の故郷に訪れた際には、セミナーの時でもホテルの一階のカフェでコーヒーと一緒に僕のために待っていることを僕はずっと知っていた。
デニスの功績は皆に知られているが、実際の彼はどんな人だった?
ヤグディン: 彼は稀な選手だった。人々はスポーツに人生をかけて、学問を犠牲にしがちだ。けれどデニスは非常に教養のある人だった。スポーツ観光アカデミーを赤い卒業証書(優等)で卒業し、さらに大学のビジネススクールに進んだ。詩を書いたり、写真撮影にも熱中していた。デニスはモスクワでの映画脚本のコンペにも参加したが、中でも彼の脚本は最高だった。カザフスタンの映画監督のベクマンベトフはデニスの脚本を基に映画を撮ろうとしている。デニスは子供の頃、音楽学校に通い、合唱団で歌っていた。後に音楽を書くようになった。これを話すのはつらいが、デニスの葬儀で彼の書いた曲が鳴り響いていた。
-タラソワは彼の死の直前、彼の母親と話していたそうだが?
ヤグディン: 正直言うと、僕たちは悲劇の前日、連絡を取り合っていた。デニスは夕方、僕に仕事に関する質問をいくらかしてきた。僕は考える時間を取り、翌日になって返信した。僕が返事を書いたのは12時7分。カザフスタンの現地時間は15時7分。デニスはその時すでに死の淵にいたんだ。それからぴったり数分後、カザフスタンの知り合いから電話があり、デニスが病院にいると言ってきた。
捜査の進展を気にしているか?
ヤグ:この事件の捜査はカザフスタンで高度に管理されている。犯人は翌日には逮捕され、今は事件のすべてを目撃していたが通報しなかった女が逮捕された。
彼女は事件を前もって知っていたのか?
僕は話すことができない。しかし、車のミラーは日々奪い取られている。とても残念なことに、白昼3時、街の中心地で忌まわしい鏡が人の命を奪った。僕はデニスの友人の1人が、彼はただの人ではなく偉大な人だったと言っていたのが印象に残った。現状、何も変わっていないのがとても残念でならない。
(翻訳はゆらさんのツイートよりお借りしましたhttps://twitter.com/tamayura_yura/status/1027557699125268482?s=21)
(その他大雑把なところは翻訳アプリ)
(ロシア語を辞書引きしたもののメモ:телеизорテレビ、новости24ニュース24、комсомольская правдаコムソモルの真実、открыть開いた、авг8月、АЛЕКСЕЙ ЯГУДИН:アレクセイヤグディン)
#ヤグディンとの信頼関係
#親切さ
#教養あるアスリート
#詩人、写真家、シンガーソングライター
#モスクワの映画脚本のコンペに参加
She won't be mine
テンくんプロデュースのアイスショー
Denis Ten & Friends
何から何まで彼の尽力にかかっているらしいことは知っていましたが、調べてみると海外ファンの宿泊先や空港の手配までしていたという事実に驚かされました。
日本ではあり得ない発想。
テンくんにとって、ファンとの距離感はかなり近いものだったのだろうなと感じますし、日本人のそれとはまったく異なる感覚なのだろうと想像します。
さて、今年のショーで披露したEX
『She won't be mine』の楽曲はテンくんの自作、そしてレコーディングとのことで、最高にスペシャルなものになっています。
シェイ=リーンの振り付けもまたお洒落。
ケガの長期療養後で、あまり滑り込めていなかったのだろうという印象は否めませんが、小粋な演出と切ない表現に酔いしれ、日々の精神安定剤になっています。
楽曲を検索したら歌詞は出てきましたが、和訳がなかったので頑張って訳してみました。
Google先生、翻訳アプリ、辞書と格闘しながら、汗、英語力にすこぶる自信のないブログ主につき参考程度にとどめてくだされば幸いです。
She won't be mine
僕みたいな人の列があるってことを
地獄は知っている
自分が特別であることを彼女は知っていると思うし
僕はどうやって過ごせばいいのかわからない
彼女は僕のものではない
なぜなら僕は十分ではないから
それは僕が信じることのじゃまをするんだ
僕がどうやったって彼女はとてもすばらしくて
僕の心の中で本物になるには彼女は完璧すぎる
僕はどうやって過ごせばいいのかわからない
彼女は僕のものではない
なぜなら僕は十分ではないから
(https://lyricstranslate.com/en/denis-ten-she-wont-be-mine-lyrics.html)
歌詞は架空のものと話していたようですが、テンくんの女性に対する憧憬や敬意がベースにあってのものなのかなと想像させられます。
どこか私たちの「初恋」にも似た、脅かすことのできない、神聖な存在として【She】を見ていたのかな、などと思いを馳せてしまいます。
テンくんのコラムや記事②
こちらのコラムは、2014-15シーズンSP曲のCARUSOについて、モチーフとなったテノール歌手エンリコ・カルーソの晩年の恋と、テンくんの滑りを情熱的に解説しています。
『[追悼]名プログラム『CARUSO』にフィギュアスケーター・デニス・テンの永遠の命を感じたい』
2018.8.1VICTORY 文・いとうやまね
文中より
「プログラムに『CARUSO』を提案したのは振付師のローリー・ニコルであった。イタリア音楽好きなテンに勧めたのである。ふたりはカルーソについての書物や記事、実際に録音された本人の音源、アメリカに渡った経緯や当時の社会情勢、曲を書いたルーチョ・ダッラについても事細かに調べ、演技に反映させたという。」
2015四大陸選手権のときの演技
#イタリア音楽好き
テンくんのコラムや記事①
事件を報じるニュースだけでなく、テンくんの人となりが感じられるコラムや記事を目にするようになりました。
今回は知り得たものを4つ載せたいと思います。
他にも何かと話題になるライターさんのものもありました(ここには載せてません)。文面からはそこに込められた故意のメッセージが伝わってきて、読者の心理を揺さぶっているとしか思えないような、この期に及んでまで…と残念な思いになるものでした。
が、これも世の常、仕方ありません。
どうかスケートファン界隈の混乱がこれ以上広がりませんように。
①『追悼デニス・テン。冷静で美しい滑りを見せてくれたカザフスタンの英雄』
2018.7.23sportiva 文・折山淑美
概要:スケーターデニス・テンの経歴について
②『デニス・テンの訃報に』
2018.7.23スターライトワルツ(フリーライター長谷川仁美さんのブログ記事)
概要:2009世選にて、15歳のテンくんと長谷川さんとのエピソード、、まじ泣けます(;_;)
③『亡くなったデニス・テンさん 凍った池でズボンを3枚はいて練習していたあのころ』
2018.8.3文春オンライン 文・野口美惠
概要:2009世界Jr.にて(この年と翌年のワールドはジュニアとシニアの両方に出ていました)初の海外メディアによるインタだったことやソチの裏話など
④『デニス・テン選手を悼んでーフィギュアスケーターの死がカザフスタン社会に問いかけたもの』
2018.8 スポルティクス 文・岡奈津子
第2回 デニス・テン選手を悼んで――フィギュアスケーターの死がカザフスタン社会に問いかけたもの《スポルティクス!》(岡 奈津子) - ジェトロ・アジア経済研究所
概要:骨太なコラム。カザフの歴史と国民性にも触れながら、カザフのために尽力してきたテンくんはその死ですら国家に改善をもたらすのかもしれないと伝えています
※紫文字はブログ主の解釈です
#他者への思いやり
#辛い経験もいずれはすばらしい経験になる
テンくんの誕生日
テンくんの死から2週間ちょっと経ちました。
ずっと夜は満足に眠れず、寝不足のままなんとか仕事をして、日常が過ぎていきます。
すごく眠いはずなのに、すぐに目が覚めてしまいます。
急に涙が溢れることもあります。
思うのはいつもテンくんのことばかりです。
それでも、今ある命を生ききること。
一片も無駄にしないようにと、不満を抱かず感謝を忘れず、前を向いて努めています。
ところで、ずっと気になっていた、今年のテンくんの誕生日(6/13)のInstagram。
そこに書かれていた文章を翻訳してくださったツイを見かけました。
時間をかけて訳されたようです。
とても心に沁みました。
【テンくんのInstagram】
【翻訳】
この、何ということもないただの日に何を綴ろうか。そもそも、なぜ書く?
25年前の今日、自分は生まれた。それは起こった。これは両親のおかげ。
兄が名前を付けた。そして母があらゆるものをカップとお皿に入れてくれた。父が家庭の経済を支えた。私はただ、注目を一身に受けて愛撫と心配りにくるまれていた。
スケート靴を履いて滑った。機会が与えられたから。音楽学校に通った。毎晩そこに時間割が組まれていたから。私は両親が、そして一瞬にして過ぎ去る機会が用意してくれたすべてのことをやった。
自分にはコリアとユダヤの血が流れている。これも自分にはあずかり知らぬところで。
自分はどこかで読むか聞くかして得た誰かの知識に導かれている。実際はそれは自分の考えですらないものだ。
自分とは何なのか?
そして自分は何をやってきたのか?
わからない。けれどもこれらすべてのことがあって自分は幸運だったのだ。
人生を愛している。両親を愛している。人を愛している。愛することを愛している。
伝えたい。正確にいうと自分ではなく、自分のありかたを。25になって世界を違う風に感じるようになってきた・・・
(翻訳はizayukamさんのツイートよりお借りしました)
テン君インスタの、自身の誕生日の日の言葉が気になって、グーグルで英訳してみて心に響きました。原語からググ訳(英)さらに拙訳(日)の二重苦で、もとの文章の調べは枯れ果ててるでしょうが、それでも少しでも触れていただきたくて。以下日本語訳。→ #デニス・テンhttps://t.co/fl0VmfzN2x
— izayukam (@SachikoHR) 2018年7月24日
「愛することを愛している」という深い言葉。
そして、テンくん自身のありかた。
おそらく特別な一枚であろう写真とともに。
アイデンティティの変化を包み隠さずに見せられるという、強さと素直さが伝わってきます。
#愛することを愛する
#強さと素直さ